和牛「オネェと合コン」にみるコント漫才の新しい形①
Youtubeでとりとめもなく動画を見続けることが皆さんにもあると思います。最近はYoutuberが職業になるくらいですから、気に入りの動画が一つや二つあるかもしれません。私もご多分に漏れず、無限に出てくるお笑いの動画なんかを惰性でついつい見ちゃいます。
最近気に入っているのはお笑いコンビ「和牛」の漫才。水田信二さんによる理屈をこねまわすようなボケに川西賢志郎さんが巻き込まれるような形でツッコミをするコント漫才が特徴のコンビで、M-1グランプリ2年連続準優勝とかなりの実力派です。タイトルにある「オネェと合コン」というコント漫才も彼らのネタの一つです。
今回の記事は私の「『オネェと合コン』のネタの構造なんか新しくね?そしておもしれええええ」という驚きを端に発しています。このネタはいつもの彼らのネタだけでなく従来のコント漫才とからも大きくかけ離れた構造を持っているのです。その新しさを文章にしたいと思いパソコンの前に向かっている次第でございます。
最初はこのコント漫才が従来のコント漫才とどう違うのか、それがどのように笑いにつながっているのかだけを書こうと思ったのですが、書いていくうちに、そもそもなんで人は笑うんだ?漫才はどのように人を笑わせているんだ?と疑問がどんどん膨らんでいったので、その辺も含めて考えたり参考資料漁ったりしているうちに結構な長さになってしまいました。冗長かもしれませんが気長にお付き合いいただければと思います。
以下が目次です。
目次
①なぜ人は笑うのか
②なぜ人は漫才で笑うのか-ボケとツッコミの役割-
④「オネェと合コン」の分析
①なぜ人は笑うのか
はい、冒頭に述べました通り、めちゃめちゃ原理的な話から始めます。私たちは普段何か面白いことがあると笑いますよね。そこに理由などなく、ただ面白いから笑うという人がほとんどだと思います。
本当にそうなのでしょうか?人が笑うのに理由はないのでしょうか?
実は、厳密ではないですが人が笑う理由はすでにある程度分析されています。例えば、群像2月号に掲載されているいとうせいこうさんとバカリズム(升野英知)さんのトークショー、「今夜、笑いの数を数えましょう」において、お二人は、笑いがうまれるきっかけを「裏切りと共感」という言葉で端的に表しています。
裏切りで起こる笑いについてお二人はこう述べています。
いとう:バナナがあって滑って転んだらおかしい。いや全然おかしくない。でもこれが偉そうにしている人が転んだらおかしいとか、いろいろ古い説があるじゃん。
升野:バナナがあって滑ってというのは、今の時代僕らにはフリになってしまう。
いとう:違うことを考えるためのね。
升野:バナナを踏んで滑ってウケることはあるけど、それがみんなの イメージとして定着してるから、さらにそれを裏切ることでの笑いも出てくる。裏切りは大きいですよね。
いとう:意外性っていうことだよね……(中略)。
升野:で、こういう話をしたら意外性自体がフリになっちゃうから、バナナの皮を踏んで滑らないことももう笑いにならなくなっちゃう。
彼らは私たちが持っている「バナナの皮があってそれで滑ったらおもしろい」という既におもしろみを失った常識を裏切ることで笑いがうまれる(例えばバナナの皮を踏んでも滑らない)と述べています。
もう少しかみ砕くと、「世間一般の常識や大多数の人の予想、これを裏切るような現象が起こった時、人は笑う」ということです。
次に共感で起こる笑いについての言及。
いとう:……(中略)つまり、うまいこと思い出させると人は笑うよね。ツッコミもそうなんだよ。さっきのインカ帝国もそうなんだけど、絵が下手だからさ(と、ホワイトボードに何かの顔を描き出す)、なんかこう、頬骨が……あ、
升野:アンパンマンになってますよね(笑)
会場:爆笑。
いとう:いやいやいや……。でも今、「アンパンマン」って言ったときに、人は笑ったでしょ。記憶の中から、何か的確なものを……あ、僕のイメージはね、長―い髪の毛を脳から抜く感覚なんだけど、これが上手だと人は笑うんだよ。それはつまり、何かを思い出させると人は快感で笑うんじゃないかと思っているわけ。
升野:あー、なるほど。
いとう:似顔絵がおかしいことと、ダジャレがギリギリ成立することもこれに関係していると思うんだ。
升野:今、アンパンマンの件で笑ったのは、まず丸を描いて、頬骨描いて、目を転々と打った時点で、ここにいる全員がこの顔「アンパンマンっぽい」ってまず思ったと思うんですよ。で、そこで「アンパンマン」って言ったことによって、「だよねー」の共感の笑いだと思うんです。みんなが「あれ?あれ?あれ?」って思っていたものが一気に解放された笑いが一個ある。
いとうさんが「アンパンマンっぽい」ものが描いていく中で、升野さんがそれを「アンパンマンですよね」と指摘することで笑いが起こる。この現象をもう少し抽象化すると、自分の想像や、考えていたことをだれかに言い当てられることによって笑いが起こる、ということです。
他の例を挙げると、バラエティ番組で芸人がしゃべったあるあるネタに私たちが笑うことあると思います。その理由は、芸人が話した出来事に近しいことを私たちも経験しており、その時の出来事や感情がうまく表現されているからであると言えますよね。
また、おっちょこちょいでいつも忘れ物をしてしまうような友人が、「銀行口座を開くために出かけたら印鑑持っていくのを忘れて取りに帰って再び家を出たら、今度は身分証明書を忘れて取りに戻り、また出たら今度はカギをかけたかどうか忘れて不安になって戻る、みたいなことをやっているうちに銀行窓口が終わってしまった」というエピソードを話してきたら笑う確率は高いと思います(こんな奴いるわけねーだろ、いやエピソードつまらんというツッコミはしてはいけない)。
これは、おっちょこちょいの友人という私たちの認識から想像される彼の失敗が実際に起こったことによる笑いです。この場合、失敗がおっちょこちょいの友人という共通認識を説明、つまり指摘するものとして機能し、アンパンマンの例に似た笑いが起こるのです。
お二人の話を拡張しながら書きましたが、このように、「自分の想像通りのことや経験したことが、言い当てられたり、目の前で再現されたりしたときにおこる笑い」は共感の笑いであると言えます。
第一節まとめ
①人の笑いには、裏切りによる笑いと共感による笑いがある。
②裏切りによる笑いは、世間一般の常識や大多数の人の予想、これを裏切るような現象によって起こる笑いのこと。
③共感による笑いは、自分の想像通りのことや経験したことが、言い当てられたり、目の前で再現されたりしたときにおこる笑いのこと。
第二節に続く