動いて考える

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2021/9/24 サーフィン/カラマーゾフの兄弟

 小田急藤沢線藤沢行きの快速電車の中でカラマーゾフの兄弟を読んだ。グルーシェニカがカテリーナに、ドミトーリーをもてあそんだことを告白し、カテリーナが激昂するあたり。

 

 この小説に出てくる人間はだれもかれもが過剰だと、いまのところは思っている。すべてのことに対して120%の力でぶつかっていき、相手はおろか自分も砕け散るようなことを、みんなが繰り返している。

 「~に違いない」「~のはずだ」のような断定口調が目立つ。そして、自分について話すとき、「自分は~であることをやめられないんだ、どれだけあがいてもこうなってしまうんだ」というような運命論的なことを言っているように聞こえる。普段の生活だったら自己弁護に聞こえかねないような言葉だが、彼らが発するものは自己弁護には聞こえない。最初こそことばの刃で自分の皮膚を撫で、周りからの慰めを期待するような狡さが垣間見えるのだが、彼らはその刃をどんどん差し込んでいき、やがて自身のからだを貫通させてしまう。彼らの痛ましいほどの過剰さがなせる業だと思う。

 集中力が切れたので車内を見回した。
 これから海へ向かうのだろう、ごきげんな服装の女の子が目に留まった。茶色のキャップ、白Tシャツ、生成りガウチョパンツにはジーンズっぽい刺繍が施してあった。肌は陽に少し灼けていた。肌の色に合うトーンの眉毛が綺麗に描かれている。眉毛は細すぎもせず、太すぎもせず。
 となりに座っていた女の人はスマホでゲームをしていた。画面の中で、シュッとした男の子が大剣で敵をなぎ倒していた。その人が席を立つと、入れ替わりでゲームをしている男の人が隣に座った。ドラゴンクエスト系のゲームだった。もう一方の隣に座る人はなろう系の小説っぽいものを読んでいた。アイテム、ギルドといった単語が見えた。
 ふたつかみっつ隣の席で仕事っぽいことをしている人がいて、写真をイラレで加工していた。写真はシャケの切身のようにも見えたし、パワーストーンみたいな、高価な石にも見えた。歯の化石のようにも見えた。

 藤沢駅で友人と合流。
「大学のときはここに○○もいたんだよなー」
 会って早々、友人がそんなことを口に出した。
 わたしと友人と○○の三人で、大学時代はよくアウトドアに出かけていた。○○はわたしたちの全然知らない人と結婚し、性が変わっていた。わたしと友人は一時期結婚しそうになった彼女がいたが、結局別れた。わたしと友人は○○のことが好きだった。

 鵠沼海岸駅を降りて、住宅街を抜けた。海に近い建物はどこに行っても白が基調で、太陽の光を浴びるとあたりの空気までも白く輝き、全体的に爽やかな印象になる。空には雲一つなかった。

 サーフィンショップにたどり着いて、ウェットスーツに着替える。友人は三回目らしかったが、自分よりウェットスーツの着替えが早かったわけではなかった。
 インストラクターの指導のもと、板に乗る練習をした。
 腕を胸のあたりにつけ、上半身を上げる。できたスペースに足を潜り込ませるようにして立つ。からだは横に向けたまま、顔だけ前を向く。言語化するのに数十秒かかるこの動きは、じっさいになされると5秒もかからない。

 サーフィンショップを出て大きな道路を渡ると、海が見えた。海水浴の客はおらず、サーファーたちで溢れかえっている。
 動きの流れを言葉で憶えても、からだはまったくその通りに動いてくれない。板の上に立ってすぐにバランスを崩すことがしばらく続いた。友人は2,3回目くらいで浜にたどり着いていた。三回目というのはどうやら本当のようだ。

 インストラクターのアドバイスをもとに、からだのひとつひとつの動きを固定させ、どうにか立つことができた。乗り始めて15分くらい経っていた。平均より少し早いくらいと言われた。やったね。
 板の上から立ち上がるときの私の動きを、言葉にすることできない。立とうと決めてから実際に立つまでの間、言葉なんか頭の中に一つも浮かばず、立とうとする動きだけがあった。さきの言葉通りに自分が動けているのかなんて全く分からない。とにかく立とうとして、じっさいにからだが動いた数秒があって、立てた自分がいた。それが楽しかった。

 腰をかがめてバランスをとるようにしてからはからだも安定して、周りを見る余裕もできた。男の人はだれでもかっこよく見えたし、女の人は誰でもきれいに見えた。
 わたしたちのすぐ近くでは女の子の二人組が遊んでいて、経験者っぽい子が初心者っぽい子に指導をしていた。初心者っぽい子を板の上に乗せ、波がやってくると経験者っぽい子は「こげ!」と大きな声を出した。初心者っぽい子は手で水をかきはじめた。「立て!」と経験者っぽい子が叫ぶと、初心者っぽい子は立った。そのまま倒れてしまうと経験者っぽい子はハッハッハと大きな声で笑い、波に乗れると経験者っぽい子はヨシと小さくつぶやいた。わたしとインストラクターもこの二人のように見えているのだと思った。

 サーフィンに限らず、スポーツをやることによってわたしはかなりの充実感を得られる。からだを動かすこと、スポーツがうまくなることは理屈抜きで気持ちがいい。スポーツをしているあいだ、悩みや考え事はどこかにとんでいっていてしまい、残るのはからだと快感だけだ。カラマーゾフの兄弟たちは、スポーツをやるのだろうか。やっていないのだとしたら、わたしは彼らにやることを勧めるかもしれない。彼らの何事に対しても120%でぶつかっていく過剰さは、スポーツをすることによって中和されるのではないか。彼らが生きていく上で抱えている悩みは、スポーツをすることによって相対化され、もっと気楽になれるのではないか。どれだけこの世がつらくて、嫌なものでも、スポーツをやっているあいだの快感は確かなものとしてある。そんなことを、真面目に思った。

 レッスンが終わってショップへと戻っていく途中、友人が「次は○○も誘おうか」と言ったので、誘おう、と返した。