動いて考える

思いついたことを書きます

和牛「オネェと合コン」にみるコント漫才の新しい形②

②なぜ人は漫才で笑うのか-ボケとツッコミの役割-

 

 第一節では、笑いには裏切りによるものと共感によるものがあると述べました。

 ここまで話を踏まえて、漫才はどのようにして人を笑わせているのか、笑わせるためにボケとツッコミはどのような役割を担っているのかについて考えていきます。

 

 まずはこちらの動画をご覧ください。M-1グランプリ2016で優勝した銀シャリの「ドレミの歌」というネタです。

 

 

 

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(45分27秒から)

 

 「ドレミの歌には一貫性がない、一貫性のあるドレミの歌をやりたい」という鰻さんのフリから始まるこの漫才。M-1優勝ネタだけあってかなり面白いです。

 

 それでは、実際に笑いが起きたシーンを分析してみます。

 冒頭でボケの鰻さんが「ドーはドーナッツのツー」というボケをかましています。これは「ドーはドーナッツのドー」という私たちが知っているドレミの歌の歌詞からのズレです。そこにツッコミの橋本さんが「まちごうてるやん」とツッコむ。ここで笑いがうまれています。このシーンにおいて観客(私たち)は、ボケが現実(世間一般の常識)とズレたことをいい(①で述べた裏切りのこと)、ツッコミがそのズレを修正するという過程を見て笑っています。これは続く「ファに続く単語をファイヤーと間違えてしまう」シーン、「しどろもどろをシドレミドレと言ってしまうシーン」などでも同じことが言えます。

 次に、ドレミの歌を楽器で統一すればいいじゃないかと鰻さんが始めるシーン。「ドーはドラームのドー、レーはレ!?」とレに続く楽器が出てこないというボケをかまし、橋本さんがツッコむ。ここでは、「ドレミの歌を楽器で統一すると言っていたから、楽器縛りでドレミの歌を作っていくのだろう」という観客(私たち)の予想を裏切り、それにツッコミが入ることで笑いがうまれています。このことは「ファッション縛りでドレミの歌を作る」シーンなどでも言えますね。

 以上のことを鑑みると、他にもいろいろな笑いがうまれるパターンがあると思いますが、基本的に漫才において笑いがうまれる理由は①現実、予想からのズレや裏切り②それらの指摘や修正によって共感をうみだす、であると言えると思います。第一節で説明した通りのことを漫才はやっているわけです。ただし、裏切り、共感のどちらがより笑いにつながっているかどうかは、コンビごと、ネタごとに濃淡があると思います。ありすぎて類型化はかなり難しいと思います。

 先ほど例に挙げたネタでは、ボケ自体でも笑いが起こっていますが、言いえて妙なツッコミをした後の笑いの方が大きな笑いになっていますから、共感がより笑いに貢献していると言えるかもしれません。

 この構造の中で、ボケは「常識・予想からのずれ、裏切りをうみだす」役割を持ち、ツッコミは「それらの指摘・修正を共感がうまれるように行う」という役割を持っています。また、ボケは常に演者側に立っていますが、ツッコミは、「ボケのおかしなところを観客に説明する」という役割の都合上、演者と観客をつなぐ橋渡しとして存在していると言えます。

 ここまで述べた、しゃべくり漫才におけるボケ・ツッコミ・観客の関係性を図にするとこんな感じ。

 

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第二節まとめ

①漫才の笑いをうみだす構造は、基本的に、ⅰ現実、予想に対するズレや裏切りⅱそれ

 らの指摘、修正によって共感をうみだすである

②ボケは常に演者側にいる存在だが、ツッコミは演者と観客をつなぐ役割を担ってい

 る。

 

第三節に続く

和牛「オネェと合コン」にみるコント漫才の新しい形③ - 足りない頭で考える