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小出祐介の言葉と世界 - Grape感想その1-

待ちに待ったBase Ball Bearの新EP、「Grape」の配信が開始された。

 

産まれた子供が小学校を卒業する程度の間、彼らを追っている身としては、「秋」をテーマにした楽曲が出てきたことに、失礼ながらも子供の変化していく様を目の当たりにした親のような感慨を覚える。

 

一方でその内容は、しっかりとBase Ball Bearらしさが凝縮されたものになっていると思う。

 

サウンド面について私が語れることはないに等しいので、

「『いまは僕の目を見て』の「Short Hair」を彷彿とさせるようなギター、Cメロからラスサビへの展開が最高。柔らかいエモさが体に沁みてくる感じがたまらん。『Grape Juice』のリズム隊最高。やっぱり『光源』あたりから相当カッコよくなってる。ライブで踊ってる自分が見えるわ。」

くらいにとどめておきたい。

 

私が今回考えたいのは、ギターボーカルの小出祐介が紡ぎだす詩世界についてだ。そこにもBase Ball Bearらしさ(というよりも小出祐介らしさ)が現れている。

それは、対極に位置する二つの言葉やものを歌詞中に配置したり、二つの中央に存在するような言葉を用いたりすることによって、時には両極端なものが同時に存在することのおかしみや矛盾を、時にはそのどちらでもない曖昧な状態について描いている点である。

 

例えばリード曲「いまは僕の目を見て」の歌詞。

 

「言葉は穴のあいた 軽い砂袋さ

君に届ける前に かなりこぼれてしまう」

 

「心と心をつなぐケーブルがあるなら」

 

というような比喩表現を使用したかと思えば、

 

「きっと君にあげたいものは 喩えられるようなものじゃない」

 

と自らの言葉を否定する言葉が唐突に現れる。 

 

他にも「セプテンバーステップス」の

 

「ベイサイド どしゃぶりの

二人じめの 夜の匂いに

指置いた 拾ったライター

点いてしまった 赤色 手持ち花火」

 

という歌詞では、水(ベイサイド、どしゃぶり)と火(ライター、手持ち花火)を同じ光景の中に配置している。水の方は、海と雨、という自然、雄大さを想起させる言葉を使用している一方で、火の方は人工、小ささを想起させるような言葉を使用している。

水/火、自然/人工、大/小という3つの異なる対極を用いた言葉たちで描き出された光景は、あり得るかあり得ないか分からないギリギリの幻想という感じがしてとても好きです。

 

このような「対極、もしくはその中央」というモチーフは、小出祐介が歌詞を書く上で、ある時点までは無自覚に、ある時点からは自覚的に用いているもので、彼自身の本質なのではないかと私は考えている。

 

初期楽曲で言えば、「SAYONARA-NOSTALGIA」の「今日も普通がいいや」、「4D界隈」の「気持ちが良すぎて 気持ちが悪い」という歌詞があてはまるだろう。

 

また、曲単体だけではなく、アルバムの構成を見渡してみてもそれは透けて見える。

 

「C」においては、「DEATHとLOVE」~「SHE IS BACK」の流れでは歌詞の端々から「生と死」という二項対立が想起される。「ラストダンス」で死んだ彼女が「SHE IS BACK」でよみがえるというオチ付きである。

「(What is the) Love & Pop?」では、ラストトラック「ラブ&ポップ」で自己受容をし、孤独を乗り越えようとする姿勢を見せる一方で、隠しトラック「明日は明日の雨が降る」では究極的な自己否定をするという両極的な展開となっている。

 

そして、このモチーフを自覚的に用いて、小出祐介の世界観を見事に作品に落とし込んだある時点、それはアルバム「29歳」であると私は考えている。このアルバムの曲の配置、歌詞の意味についてはまた別途考えたいが、先ほど述べた「両極、もしくはその中央」というモチーフを「両極端のどちらでもないもの、その曖昧に向き合う」という自身の生き方に昇華させ、それをこの作品でいったんは表現しきっているといえるだろう。

 

しかし、表現者の本質的な部分は、いったん描ききったとしても何度でも立ち現れるものである。

 

小説を例にとると、村上龍は「既存の社会システムへの疑問、抵抗」をテーマにした作品をいくつか書いている。デビュー作の「限りなく透明に近いブルー」は、アメリカの支配から逃れたような雰囲気の当時の日本社会に米軍基地が存在している矛盾を描いた側面を持っているし、「愛と幻想のファシズム」、「希望の国エクソダス」などは崩壊しかけた社会システムを破壊し、新たな世界を作り上げようとするストーリーだ。

 

翻って「Grape」中の楽曲群においても、それは同じことである。両極に存在するものをあえて同時に使い、そこから見える世界を描こうとしているはずだ。

 

次は今述べたような観点から、「いまは僕の目を見て」の歌詞について考えたい。

 


Base Ball Bear - いまは僕の目を見て