音楽を聴く喜び
「八月」を初めて聴いたときの違和感と、2回目に聴いたときの衝撃が忘れられない。
People In The Boxを聴き始めたのは彼らの曲と同名の小説が芥川賞を取ったことがきっかけ、というよりは、このエピソードを聞いてPeople In The Boxが好きだと言っていた先輩を思い出してそれを懐かしく思ったのがきっかけだった、のか。
直接的な理由は曖昧なのだけど私はとにかくApple Musicでこの曲を聴きだした。
聴いていると沢山の色が浮かび上がってくる曲で、カジュアルに言うとものすごくハマった。めっちゃ聴いた。
そこから先述の先輩に連絡を取り、おすすめの曲を教えてもらった。先輩は私がこのバンドを聴き始めたことをすごく喜んでいた、らいいなと思う。
「八月」はそのおすすめの曲のうちの一つだった。
こう書くと、初めて聴いたときは、じっくり味わうために静かな部屋でゆっくりと聞いていたのかと思うかもしれないけれどそうではなくて、通勤中に漫然と聴いていた。さらに言うと、聴いていた時はそれが八月という曲であることは知らず、曲が終わった後、なんだこの曲は、と思って再生履歴を遡ったら、八月という曲だった。
それで、私が違和感を覚えた部分はこの曲のアウトロ部分だった。
愛も正しさも一切君には関係ない
君は息をしている
という歌詞の後、アウトロが始まる。アコースティックギターが紡ぐメロディが体感で十何秒か続いた後、余韻を残して終わり、ベースとドラムの音が終わった。
それにしても、字数にして23文字のこの言葉は、このアルバムをまとめあげる素晴らしい歌詞だと思う。
この曲が収録されているアルバムのタイトルは「Ave Materia」。直訳すると、「こんにちは、物質」という意味だ。ここでいう物質とは「肉体」という意味に置き換えてもいい。
というのも、このアルバムでは、精神としての人間と、肉体としての人間が二項対立的に描かれるからだ。
アルバムに収録されている曲の歌詞を見ていると、1曲目から8曲目までは、精神活動を営む人間の暗がりを描いているように思える箇所がちりばめられている。
そして9曲目が「さようなら、こんにちは」という曲なのだけど、この曲は、1~8曲目のまとめとして、精神としての人間が極限まで行ってしまった世界の光景を描いているように思えた。
「さようなら、こんにちは」の歌詞の一部を切り取ってみる。
"私の聖域にはいっておいで
土を踏みしめて なみだを垂らして
意味もなくきみが笑う
<さよなら、物質>
意味もなくぼくも
窓を開け放って 風邪を誘い込んだ
屋根を吹き飛ばして
すべて撒き上がるよ
窓を開け放って 光 暴れだした
まぶた開け放って
その眼でなにもみるな
ただいま、ひさしぶりだね
原風景"
この歌詞から、物質としての人間を捨て、心だけでつながろうとする人間の光景が立ち上がってくる。
それはちょうど、エヴァンゲリオンの劇場版「Air/まごころを、君へ」の終盤で人類補完計画が実行されるシーンのよう。全ての人間の肉体が液体に還元され、その魂がリリンの卵へ取り込まれるシーン。
<さよなら、物質>という歌詞がその光景を象徴している。
精神としての人間のありようを描くだけならここで終わるのがふさわしいのだけど、このアルバムのタイトルは「こんにちは、物質」だ。
最後の曲である「八月」では、これまでの曲とは反対に、物質としての人間を強く意識させられる光景が描かれる。
"誰かが死にかけている時
きみは生きる喜びにある"
"朝 走る車をぎりぎりで
ひらりとかわす"
誰かの肉体が朽ちていくときに、自分の肉体のみずみずしさを強く実感する。
走る車をかわすのは精神としてのあなたではなく肉体としてのあなただ。
そしてこの曲のラストは冒頭で述べたあの歌詞で締めくくられる。
愛も正しさも一切君には関係ない
君は息をしている
愛や正しさといった人間の精神活動が生み出したものは、あなたという人間存在を根拠づけるものではない。呼吸、生きているということ自体があなたの存在を肯定している。
精神の領域で行われる活動ばかりが重要視され、本来私たちの存在を根拠づけているはずの肉体がないがしろにされている現代、そのつかみどころのない膜を音もなく切り裂くきれいな言葉だと思う。
「さようなら、こんにちは」を含めた1~9曲目が全体として、<さよなら、物質>と歌う曲なら、「八月」は<こんにちは、物質>と歌う曲である。それはそのままアルバムタイトルの「Ave Materia」へつながる。
と、ここまでがこのアルバムを聴いて、歌詞を読んだ感想なのだけど、あくまでも全体を一つの側面から切り取った一部に過ぎない。
全体から部分を取り出して、それをテコにして全体を説明するとなんとなくすっきりするけど、それは全体を説明したことにはならない。
このアルバムにはまだまだたくさんの切り口があるような気がしてならない。「八月」のアウトロの違和感もそのうちの一つのはずだ。